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台湾=宝島×鬼島 滞在記

台湾企業で働く日本人が台湾についてテキトーに語るブログ

台湾映画「湾生回家」を見た私が、日本統治時代韓国生まれの祖父の“帰郷”を振り返る

■かつての日本と台湾をつなぐ映画

 

台湾では最近、「湾生回家」というタイトルのドキュメンタリー映画が人気を集めています。

 

「湾生」というのは、日本統治時代(1895-1945)の台湾で生まれた日本人を指す言葉(当時は蔑称のニュアンスも含む)で、「回家」はこの場合「帰郷」でしょうか。この作品は昨年出版された同名書籍の映画版で、映画の祭典「金馬奨」にノミネートされ、観客動員数も順調に伸びています。私が観にいった日(公開から約一週間)もほぼ満員でした。

 

作中では、湾生が生まれ育った台湾の「故郷」に訪れて旧友に会ったり、当時を振り返って、戦中の思い出や、敗戦後の引き揚げ時の思いを語ったり、湾生の子孫の台湾人が日本の墓を訪ねたり…そういうことが描かれたドキュメンタリー映画です。(以下の予告動画もどうぞ)

 

www.youtube.com

 

メディアの報道などを見る限り、台湾でここまでまともに「湾生」に光が当たったのはこれが初めてで、映画を見た人の「台湾人がこれまで知らなかった日本と台湾のつながりを知ることができる」みたいな感想も聞きます。映画館でも多くの台湾人の(笑いと)涙を誘っていました。

 

■ちょっと変わった切り口で書いてみようかと

 

この作品については、台湾関連のブログなどで既に多くの人が語っていますし、将来書籍の日本語化や日本公開もあると思ってます。正直、他の皆さんと同じ切り口で作品を語っても仕方ないと思い、考えた末に書こうと思ったのがこの記事です。

 

私の祖父は日本統治時代(1910-1945)の韓国で生まれ育った日本人です。そして、私は2000年代に祖父がまだ存命だった時代に祖父の“帰郷”に付き合い、韓国に行ったことがあります。「湾生回家」の作者は湾生の子孫を自称しているし、映画も帰郷を描いています。だったら、自分もその時の記憶を書いてみてもいいんじゃないかと思ったわけです。

 

先に2点断っておきたいのは、自分は英語や中国語はともかく、韓国語ができるわけでもないですし、韓国に関してそこまで深い知識があるわけではありませんということが1点。もう1点は、自分が祖父やその他の韓国生まれ日本人から聞いたことを主観的に書いているだけで、新聞のような裏取りがあるわけではないこと。この2点を前提とした上で読み進めてください。

 

■日本本土から朝鮮半島に移り住んだ曽祖父母とそこで生まれた祖父

 

さて、統治時代の台湾生まれの「湾生」がそうであるように、統治時代の韓国生まれの日本人も全員移民2世(もしくは3世)です。だから、当時韓国に渡ったのは祖父ではなく、曽祖父母です。私の曽祖父母は元々四国の出身で、韓国併合後、日本での財産を引き払い、現在の韓国・全羅南道の海南郡に移り住みました。そして、何人かの子供を生み、一家の末っ子として生まれたのが祖父です。

 

正直な話、自分が台湾に移り住もうとしている現状を思えば、曽祖父母には韓国ではなく、台湾に移り住んで欲しかったと思ったり思わなかったりしてますが、朝鮮半島の北側に移住した日本人たちのその後を考えるとあまり贅沢はいえませんね…(詳しくは「竹林はるか遠く」を参照)

 

曽祖父母は、移り住んだ海南の地で、土地を買い農業と旅館を始めたと聞いています。祖父は子供の頃から酒好きだったらしく、旅館のお客さんが残したお酒を隠れて飲んでいたと酔っ払いながら話していたのをよく覚えています。農業のほうは、曽祖父母らは地主、現地の韓国人は小作人として運営していたようです。祖父は「関係はよかった」と振り返っていましたが、向こうがどう思っていたかは分かりません。家の近くにある売店の韓国人の女の子とよく遊んでいたという話をしていたような記憶もあります。

 

また、祖父は当時朝鮮半島でも宣伝されていたらしい「満蒙開拓団」(満州国内モンゴルへの移民計画)に憧れていたと語っており、もし彼が本当に志願して満州内モンゴルに行っていたら、戦争末期の混乱で果たして生きていたかどうかは怪しく、この文章を書いている私も存在していたかどうか…。ちなみに祖父の同郷の日本人は徴兵で関東軍に入り、シベリアに抑留されています。彼自身は生きて帰りましたが、多くの仲間を失いました。

 

ちなみに先にバラしてしまうと、祖父は統治時代の韓国に生まれ育ったものの、敗戦後の引き揚げは経験しておらず、恐らく1930年代に10代前半で曽祖父母とは別に日本に渡り、技術学校?を経て三菱重工業で働き始めています。名古屋の工場でゼロ戦製造に携わり、戦後初の国産旅客機YS-11にも関わっていました。その関係で「風立ちぬ」の堀越二郎氏や当時の東條英機首相の次男・東條輝雄氏などとも絡んでいたようです。

 

■韓国・全羅道という場所

 

映画「湾生回家」でも語られていましたが、同じ移民と言っても、台北のような大都市で生活していた人と東部・花蓮のような場所で開拓を行っていた人とではかなり差があったようです。暮らし向きや現地人との関係も恐らく違っていたのではないかと思います。

 

韓国で言えば、祖父が生まれた全羅道という場所は、元々日本と交流が深かった「百済」があった場所で、韓国内でも日本に対する好感度が高い土地柄ということもあるらしいので、祖父や同郷の人たちの体験がどれほど他と合っているか違っているかは分かりません。そして、ソウルに比べれば当時も相当に田舎で、「地の果て」なんて名前の半島最南端の観光地もあります。

 

■「俺たちは義兄弟だ」

 

さて、私が祖父の生まれ故郷、全羅南道・海南郡を訪れたのは、今から10年以上前で2000年代の早い時期のことです。日本でも今ほどは嫌韓感情が高まっていなかった時代だったのではないでしょうか。(逆に言えば韓国のことに今ほど高い関心はなかったともいえます)

 

「海南会」と呼ばれる祖父と同郷の日本人が運営する団体に参加して現地を訪れましたが、韓国生まれの日本人とそれを出迎えた韓国人の交流の中で、一番印象的で今でも覚えているのは

 

「俺たちは義兄弟だ」

「住む国は違っても、今でも私たちは義兄弟です」

 

といいながら抱き合っていた日本人と韓国人2人のやり取りです。

 

湾生回家でも、台湾で子供時代を共に過ごした湾生と台湾人が再会を喜ぶシーンがあり、友情は国や時を越えるんだなと思いましたが、このやり取りを思い出すと、それは韓国の少なくともこの海南の地においては同じだったんだなと。正直、湾生回家を見ていて「既視感」を感じたほどです。

 

また、映画には「日本に住んでいても、心は今でも台湾にある」というような湾生が出ていましたが、それは韓国生まれの日本人もあまり変わらないとも感じました。祖父は上で語ったように「引き揚げ者」ではない関係上、無理やり生まれ故郷から引き離されたという意識は他の方に比べると薄かったようです。それでも、自分が生まれ育った家があった場所を訪れた際には当時を思い返し、うっすらと涙を浮かべていたのを覚えています。

 

ちなみに祖父の生家である旅館はとうの昔に取り壊され、携帯電話を売る小さな店が建っていました。ただ、裏の寺に植えられていた樹は当時も残っており、祖父も「あの樹はよく覚えている」なんて話をしていました。同郷の人たちも家は残っていなくとも、道や壁に当時の名残を感じて、その道をとおって通っていた学校のことなんかに思いを馳せていました。

 

■統治時代に生まれた韓国人

 

私たちを歓迎してくれた海南郡出身の韓国人の何人かは、当時日本語教育を受けていた金大中(彼は全羅道出身)や現大統領、パク・クネの父のパク・チョンヒらがそうであったように、流暢な日本語を話していました。一部からは今でも日本語の手紙が送られてきます。ちなみに金大中の日本語はこのレベルです↓

www.youtube.com

 

また、日本の統治の話について、韓国側の人は多くを語りませんでしたが、「良いことも悪いこともあった」というのが一番平均的な答えだったように覚えています。当時の日本の統治が世の中で言われているような凄惨なものであったのであれば、このような交流はそもそも続けられていなかったんじゃないかと思います。

 

ちなみに帰国時には現地の特産品である韓国海苔やキムチなどを持たされましたが、祖父と同じ統治時代の海南郡に生まれ、韓国の国会議員だった方から全員にピンバッジが配られました。ハングルしか書かれていないので私は読めませんでしたが、その後他の日本人に聞いてみたところ、どうやら書いてあったのは

 

「独島は韓国の領土」

 

という言葉だったようです。交流の最後にこれかと思いましたが。

 

なんというか「時や国を越えた美しい友情」と、「物事は綺麗ごとだけでは進まないという厳しい現実」を同時に思い知らされた旅だったというのが印象です。

 

■湾生回家と自分の体験

 

というわけで、祖父の半生や“帰郷”時の話を振り返ってみました。

途中でも書きましたが、私が「湾生回家」を見て最も強く感じたのは「既視感」でした。

なんというか、台湾と韓国という差はあれど、日本人たちが生まれ故郷を懐かしく思ったり、旧友と抱き合ったり、現地の人たちも日本語を話して当時を振り返ったり…ほとんど違いなんかなかったと。

 

私は自身の体験と感じたことしか書けないですし、一部の人が期待するような「台湾と比べて韓国は…」なんて話をするつもりはありません。

この文章を通じて、そういう時代があり、日本と韓国の間に血の通った交流があったんだなと少しでも感じていただければそれでいいと思っています。感想など頂ければうれしいです。

 

「湾生回家」もしばらく上映されると思いますので、台湾旅行の際にはぜひ観て頂ければと思いますし、将来日本で公開されることを切に願っています。